浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

親鸞聖人と善光寺

 昔から偉人、有名人といわれる人びとには、沢山の伝説や作品などが伝えられております。それも今日の私達の感覚では、とても信じられないようなものが多いのですが、今日まで、これらの伝説などが語り伝えられてきたことは、それなりの充分な意味が有ったればこそと思います。

 今回も、我が浄土真宗の宗祖親鸞(しんらん)聖人のことを少し書きたいと思います。

 聖人は35歳の時に越後(新潟県)の国府に流罪にされ、39歳で流罪を赦免(しゃめん)され、42歳頃に直接、関東(茨城県方面)に妻子を連れて向かっておられます。私はこの8月28~29日に、大阪市北区の浄土真宗本願寺派(西本願寺)寺院のご住職達12名と共に、長野の善光寺と、その付近に研修旅行に行ってきました。

 するとどうでしょう。今迄に私達の勉強した歴史では、聖人は行っておられないはずの善光寺とその近辺に、聖人にまつわるいろいろのものが沢山あるのです。そのいくつかを紹介しましょう。

 先ず善光寺の山門をくぐり、金堂との中ほど左側に、聖人が善光寺に参詣のたびに、若松の枝をご本尊に供えられたという故事にもとづき、松の小技を持った聖人像があります。また金堂に入った所の大花瓶にも大きな(高さ5メートル位)松の枝が活けてあり、寺ではこれを「親鸞聖人お花松」と名づけ、毎月1回取り換えるとのことです。

 先の聖人像から少し西に行くと、聖人の爪で彫られたという、石仏の「爪彫阿弥陀如来像」があり、なぜか古くから「眼病に効く如来さま」といわれ、お年寄りに信仰を集めているとのことです。

 また善光寺仁王門の近くにある院坊の「常照坊(じょうしょうぼう)」には、聖人が戸隠山(とがくしやま)(標高1,904メートルで修験道の霊場)に登られた時、この山で採られた熊笹を並べてお書きになったといわれる「笹文字御名号」が有るそうです。

 その外、善光寺の近辺には飲料水が乏しく住民が困っているのを耳にされた聖人が、持っておられた桂の木の杖を大地に挿すと水が湧き出し、挿した桂の杖が根づいて大きくなり、今では県の天然記念物に指定されている「桂の木(豊岡のカツラ)」や、更には「聖人がお念仏を称えながら杖を挿されたところ、湧き水で池になりました。池の周囲の土を大きく踏むと、さらに湧き出る珍しい現象の池です」と説明板に書かれている「念仏池」等、沢山の聖人にまつわる伝説を聞見してまいりました。

 伝説とは故人に対する畏敬と敬慕から生まれてくるものであります。このたびは「牛にひかれて」ではなく「聖人にひかれて善光寺まいり」をさせて戴き、聖人のご遺徳をしのぶと共に、昔の信濃の人びとの聖人に対する暖かい敬慕の心を、ひしひしと感じさせて戴きました。