浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

お念仏のお育て

 親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」とお念仏することは、阿弥陀様が私をよびつづけ、招きつづけている姿だといわれます。だからお念仏を称えることは、阿弥陀様のお仕事なのです。その阿弥陀様のお仕事を、私が代わってさせていただいて、如来さまのおおせを聞かせてもらっているわけなのです。

 この私はなかなか如来様のいわれを聞こうとしません。その私にどうしても聞かせてやろうというのです。どうしたら私が、一番よく聞くかというと、自分で称えて、私が聞けば、一番よいのでしょう。それでお念仏をとなえさせ、本願のおいわれを聞かせていこうとされたわけなのです。

 つまり私が「南無阿弥陀仏」とお念仏していることは、阿弥陀様の「摂め取って捨てない。必ず救う」という親の呼び声を聞いていることになるのです。

 道に迷ったときは、周辺案内の地図を見ます。でもその地図には目的地が書いてあることも大切ですが、もっと大事なことは現在地が書いてあることです。現在地がないと自分のいる場所が分からなくなります。現在地と目的地が書いてあれば迷わずに行くことができます。

 私の"いのち"は阿弥陀様から見れば、かけがえのない仏の子の"いのち"なんだよといわれるのです。これが"いのち"の現在地なのです。仏の子として目覚めをうけながら、お浄土をめざしてこの人生を生きるという新しい方向が与えられるのです。

 私の人生は楽をするために生まれてきたのではないのです。この人生を通して「南無阿弥陀仏」のみ教えが、真実の教えであったことを確認していくのです。これが念仏者の歩む道なのです。

 「南無阿弥陀仏」