ごおんうれしや なもあみだぶつ
妙好人の浅原才市さんは、現在の島根県太田市温泉津町小浜で江戸末期の1850年にお生まれになりました。
これまで寺報『光寿』に掲載した法話の一部をご覧いただくことができます。
妙好人の浅原才市さんは、現在の島根県太田市温泉津町小浜で江戸末期の1850年にお生まれになりました。
2021年「正宣寺春季彼岸会」より、山本攝叡先生のご法話「仏道の意味」を寺報用に一部編集したものです。
真実の行とは、真如にかなった清らかな行いという意味をもっています。
2020年「正宣寺真宗特別法座」より、天岸淨圓先生のご法話「黄金為地」を寺報用に一部編集したものです。
2020年「正宣寺真宗特別法座」より、天岸淨圓先生のご法話「黄金為地」を寺報用に一部編集したものです。
2020年「正宣寺真宗特別法座」より、天岸淨圓先生のご法話「黄金為地」を寺報用に一部編集したものです。
2020年「正宣寺真宗特別法座」より、天岸淨圓先生のご法話「黄金為地」を寺報用に一部編集したものです。
佐賀県で江戸時代から続く「巡番報恩講」と呼ばれる伝統ある法要に出講しました。
親鸞聖人88歳の1259年から1260年にかけて、大飢饉が発生し、さらに疫病が流行し、多くの者が亡くなりました。
梯實圓和上の「念仏は偽物の人生を本物に変えて下さる」という言葉をありがたく思い出します。
阿弥陀さまは「往生」という言葉をもって生死を超えさせるのです。
Mさんは大学2年生の時、交通事故に遭い、後遺症を負いながら、お念仏を喜ばれた方でした。
"阿弥陀さまの本願の救いのめあてを「逆謗闡提を恵まんと欲す」といわれます。
阿弥陀さまの救いはどんな小さな子でも、どんな年老いた方でも同じようにかけられています。
阿弥陀さまの第18番目の願いの最後に「唯除五逆誹謗正法」といわれています。
「正信偈」は『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』1部6巻に顕わされているみ教え全体が要約されています。
「自由」を通常は「じゆう」と読みますが、仏教では「じゆ」と読みます。
今回は、1991年2月6日にご往生された山本仏骨先生についてお話しします。
仏さまは真実に背いて苦に埋没していく私を放っておけないのです。
「仏教がわからない」のは、自分が見るものであり、知るものであり、わかるものだと思っているからです。
浄生きているあいだに悟りを開くことのできない人間であると知ることなのです。
浄土の救いとは、阿弥陀さまの慈悲の心から起こってきたのです。
今世界で一番読まれている仏教書は『歎異抄』ではないかといわれています。
仏教では、父や母を殺すということよりも、仏教をそしり、仏教に関心がないことのほうが罪が重いのです。
生まれてくる時に何も知らずに生まれてきたのだから、生まれてきたことに責任を持てません。
仏さまの教えを聞くことによって、悟りの世界に生きる人間に変えられていきます。
お釈迦様は「人生は苦である」と言われました。人生を苦と感じ、その人生をいかに克服してゆくのか。
お寺で仏様のお話を聞く時は、学校の授業の聞き方と違います。忘れることを気にしない聞き方をするのです。
親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」とお念仏することは、阿弥陀様が私をよびつづけ、招きつづけている姿だといわれます。
1人の旅人が、西に向かって果てしない旅を続けていました。振り返ると、盗賊と獣が襲ってくるのが見えたのです。
私たちは文明が発展すればするほど幸福になると思っていますが、仏教では人間の心の世界は逆におとろえていくというのです。
「仏様のお言葉にはウソはない」とうたがいなく信ずることは、よほど仏様に育てられないとできません。
「仏さまのお言葉にはウソはない」とうたがいなく信ずることは、よほど仏さまに育てられないとできません。
お通夜にお参りしたときに「この人はどこへ行ったのでしょう」といわれたら「お浄土にやってもらいました」と言えればいいですね。
浄土の救いとは、阿弥陀さまの慈悲の心から起こってきたのです。「慈」と「悲」とは、元々別々の言葉でした。
北御堂(浄土真宗本願寺派津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)を結ぶから御堂筋というのです。
仏弟子の舎利弗がかつてすべての人を救おうという願いを持って修行していました。
仏様が「仏を念ぜよ、阿弥陀仏のみ名を称えよ」と言われた通りに、み名を称えながら生きていくすがたをお念仏といいます。
親鸞聖人は、阿弥陀さまの救いを「正信偈」に「拯済」と書かれています。
お寺で仏さまのお話しを聞くことは、学校の授業などの聞き方とちがいます。
国王がハトを助けたという有名なシビ王の物語という話があります。
年とともに気になるのが年末になるとやって来る喪中のハガキです。
とても美しい女性が訪ねてきて「私は吉祥天という福の神です。あなたに福徳を授けに来ました」と言います。
「忙」という字は心を亡くすと書きます。生きているということは、いつかは必ず死にます。
お経とは何でしょうか。善導大師の二河白道の譬えの中に、それについて書かれています。
「南無阿弥陀仏」というお念仏は、仏様の智慧そのものなのです。
畜生とは、性質が愚鈍で、人に養われていて、人間のように直立歩行をしない生きもののことといいます。
生・老・病・死を四苦といわれております。人間である限り絶対に避けることのできない4つの苦しみであります。
大学の先輩から、「姉の子どもが亡くなったから、お葬式をしてくれないか」と電話がありました。
『教行証文類』の「信文類」に、人間を救う2つの真理があるといわれています。1つは慚、2つは愧であるといわれます。
ある年の新聞に「母の日に思う」と題して投稿した短い文章がありました。お子さんからプレゼントを貰ったという話です。
親鸞聖人は、お念仏のことを「本願招喚の勅命」(阿弥陀さまが私を招きよびさましつづけている命令)といわれています。
浄土真宗はおもしろい宗教だと思います。「とんでもないことを…」と怒るかたもいるかもしれません。
この世に浄土を建立しようとする人がいます。その論理は正しいし、熱情も尊い。